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盛岡地方裁判所 昭和29年(行)9号 判決 1956年3月20日

原告 工藤堅固

被告 岩手県知事

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十四年一月一日附岩手牧第七四七号買収令書をもつて岩手県九戸郡大野村大字大野第五十三地割三十四番の一字権谷原野四町五反歩につき、三十四番の一字権谷原野一町歩及び同上三十四番の九原野三町五反歩としてなした買収処分の無効であることを確認する、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、昭和二十三年十一月五日大野村農地委員会が原告の所有であった同県同郡同村大字大野第五十三地割三十四番の一字権谷原野四町五反歩につき、三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷原野三町五反歩の二筆の土地として旧自作農創設特別措置法(以下単に旧自創法と略称する)第四十条の二第一項第一号に該当する小作牧野として牧野買収計画を樹立して翌六日その旨公告し、同日から十日間書類を縦覧に供したに対し原告は異議訴願の申立をしなかつたところ、被告知事は県農地委員会の所定の認可手続を経た右買収計画に基き昭和二十四年一月一日附の請求趣旨記載の買収令書を発行し、同年三月二十九日原告にこれを交付して前記三十四番の一字権谷原野四町五反歩を買収した。しかしながら右買収処分は次の点で違法である。すなわち、

(1)  前記買収計画樹立当時は勿論、買収処分当時において右三十四番の一字権谷原野四町五反歩は登記簿上一筆の土地であつて買収令書記載のように三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷原野三町五反歩の二筆の土地に分筆されてはいないのであり、従つて三十四番の一字権谷原野一町歩三十四番の九字権谷原野三町五反歩なるものは登記簿上存在していなかつたのである。されば右買収処分はその買収対象物件として当然三十四番の一字権谷原野四町五反歩と表示すべきを三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷三町五反歩と記載したのは地番反別の表示を誤つたものであり違法である。

(2)  右三十四番の一字権谷原野四町五反歩は前記買収計画樹立当時の現況山林であつて牧野ではないからこれを牧野として買収したのは違法である。

しかして以上のような違法は重大且つ明白で無効の瑕疵に該当するから右買収処分の無効であることの確認を求めるため本訴請求に及ぶと述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張事実中、原告の所有であつたその主張の三十四番の一字権谷原野四町五反歩に対し、三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷原野三町五反歩の二筆の土地としてなした大野村農地委員会の買収計画の樹立から被告知事の買収令書の交付にいたるまでの買収手続関係が原告主張のとおりであることは認めるが原告その余の主張事実は争う。前記買収計画樹立当時三十四番の一字権谷四町五反歩は土地台帳上三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷原野三町五反歩の二筆の土地に分筆せられていたので、大野村農地委員会は右土地台帳の記載に基いて前記二筆の土地につき買収計画を樹立し、被告知事もまたこれを踏襲して買収したのであつて何ら原告主張のように買収対象土地の地番反別を誤つた違法はない。なおまた右二筆の土地は買収計画樹立当時の現況牧野であつた、三十四番の一字権谷一町歩は訴外権谷松次郎が、三十四番の九字権谷三町五反歩のうち五反歩は同下平精一郎が、一町歩は同間沢福松が、その余の部分は前記権谷松次郎がそれぞれ原告から借り受け、専ら牛馬の飼料及び農耕用の堆肥を作る取草を採草するために使用して来た土地であり、旧自創法第四十条の二第一項第一号に該当する小作牧野である。されば右買収処分は現況山林を牧野として買収した違法はなく原告の本訴請求は失当であると述べた。(立証省略)

理由

昭和二十三年十一月五日大野村農地委員会が原告の所有であつた岩手県九戸郡大野村大字大野第五十三地割三十四番の一字権谷原野四町五反歩につき三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷原野三町五反歩とし旧自創法第四十条の二第一項第一号に該当する小作牧野として牧野買収計画を樹立してその旨公告し書類を縦覧に供したに対し、原告より異議訴願の申立なく、次いで被告知事が県農地委員会の所定の認可手続を経た右買収計画に基き原告主張の昭和二十四年一月一日附買収令書を発行し、同年三月二十九日原告にこれを交付して右各土地を買収したことは当事者間に争いがない。

原告は三十四番の一字権谷原野四町五反歩は登記簿上分筆されていなかつたのにこれを三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷原野三町五反歩の二筆の土地として買収したのは違法である旨主張するのでまずこの点について判断する。

成立に争いのない甲第一、二号証、乙第一、二号証によれば、前示買収計画の樹立された昭和二十三年十一月当時三十四番の一字権谷原野四町五反歩は土地台帳上既に三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷原野三町五反歩の二筆の土地に分筆されていたが登記簿上いまだ分筆登記になつていなかつたがため、大野村農地委員会は右土地台帳の記載に則り三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷原野三町五反歩の二筆の土地として買収計画を樹立し、被告知事もまたこれを踏襲して右二筆の土地として本件買収処分をしたのであつて、右二筆の土地は登記簿上の三十四番の一字権谷原野四町五反歩と同一であることを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠がない。

ところで旧自創法第六条第五項、第九条第二項によれば、買収計画の樹立に際し縦覧に供すべき書類及び買収令書には買収すべき農地の所在、地番、地目及び面積を記載すべきものとされているが、土地台帳の地目が現況と異るときは土地台帳の地目及び現況による地目を記載すべきものとし、また第十条によれば第六条の適用については農地の面積は原則として土地台帳に登録した当該農地の地積による旨を定め、右農地買収に関する規定は第四十条の五により牧野買収に準用されているのであつて、以上の諸規定に徴しても、旧自創法は土地台帳の記載を基準にして買収手続を処理する建前であると解せられる。従って買収の対象とされている当該土地が土地台帳上既に分筆されておりながら登記簿上いまだ分筆登記がなされていないため右土地の地番及び地積につき土地台帳の記載と登記簿のそれとが一致を欠くにいたつた場合には土地台帳の記載に則るべきはむしろ当然の処置といわなければならない。されば本件において大野村農地委員会が土地台帳の記載に則り分筆前の三十四番の一字権谷原野四町五反歩につき分筆後の三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷原野三町五反歩の二筆の土地として買収計画を樹立し、被告知事がこれに基いて右二筆の土地につき本件買収処分をしたのは何ら違法ではない。この点に関する原告の主張は失当である。

次に原告は本件買収にかかる三十四番の一字権谷原野四町五反歩(分筆後の三十四番の一字権谷原野一町歩及び三十四番の九字権谷原野三町五反歩)は前示買収計画樹立当時の現況山林であり牧野ではなかつたと主張するに対し、被告は当時の現況採草牧野であつた旨抗争するので案ずるに、証人権谷松次郎及び下平精一郎の各証言及び検証の結果並びに鑑定人武藤益蔵の鑑定の結果(但し後記採用しない部分を除く)を綜合すれば、本件二筆の原野は九戸郡大野村字権谷部落の北東部に位置する標高約二百米の丘陵地帯の一部で、三十四番の一字権谷原野一町歩は山頂附近を東西に走る幅員約二米の道路の北側に接し、その東方約一反歩の部分が台地状をなして略平坦である外は北方へ約十度の緩傾斜をなしており、三十四番の九字権谷原野三町五反歩は右道路を隔てて右三十四番の一字権谷一町歩の南西に位置し、北東から南西に走る峯を境に北西及び東南に五度ないし二十度の傾斜をなし、西側は北から南に流れる沢に、東及び南側は北東から西に流れる沢により区劃された地勢であつて、その林相は、右二つの沢の合流点附近の約二反歩の範囲に楢の幼齢樹が比較的密生している箇所もあるけれども、その余の大部分は三十一番の一字権谷原野一町歩と同様若干の栗、楢その他の雑木が所々に点在する以外は主として柏であり、これとて前示買収計画樹立の前年に殆ど伐採し尽されたので現在は胸高直径二ないし五糎、樹高二ないし四米、樹齢約八年生の萠芽樹で所々に群生するにすぎなく、従つてこの現況より推すに右買収計画の定められた昭和二十三年十一月当時における右二筆の土地の立木は概して高さ六十ないし七十糎で枝条の拡張も狭くその疎密状態は現在より一層疎らで樹冠密度は三十四番の一字権谷原野一町歩にあつては三十%以下であり、三十四番の九字権谷原野三町五反歩にあつては三十%以上と見得られる部分は全体の約三分の一にすぎなかつたものと推察されること、しかして右二筆の土地に叢生する草は芒及び萩を多く含む雑草で牛馬の飼料として好適であり、その生育状況もまた良好で年間相当の採草量に達するところから数十年の久しきにわたり牛馬の飼料又は農耕用の堆肥に供するため採草して来た土地で嘗て植林したこともなく、時々地上の立木を伐採して薪炭材等を生産したことがあつた程度で特に林木の育成のために手入等をした事実がなかつたこと、ところで右二筆の土地はもと訴外権谷松次郎の所有であり、昭和十二年頃三十四番の九字権谷原野三町五反歩のうち約五反歩を同下平精一郎に、約一町歩の部分を同間沢福松にいずれも採草地として賃貸し、その余の部分及び三十四番の一字権谷原野一町歩は権谷松次郎自身が同じく採草地として使用していたが、昭和十九年十一月原告が右各土地を買受取後は権谷松次郎に無償でこれを使用せしめ、同人は原告の承諾を得て下平精一郎及び間沢福松に対しそれぞれ従前の地域を転貸し、かくて右三名の者はそれぞれその使用にかかる部分に毎年火入をして草生の育成を図り専ら採草を目的として使用して来たものであること、以上の事実を認めることができる。右認定を覆すに足りる証拠がない。

およそ旧自創法上牧野とは当該土地の利用目的が主として家畜の放牧又はその飼料若しくは農耕用の堆肥等を作るための採草にあれば足り、地上生立の立木が時に薪炭材等に用いられることがあつてもこれを牧野というに妨げないのであり、また山林か牧野かを認定するに当り、立木の樹冠密度が一応の基準となり得るけれども、しかし樹冠密度三十%以上のものが、牧野であり、三十%以下のものが山林であるとは直ちに断定し得ないのであつてただ通常樹冠密度三十%以上の場合は当該土地の主たる使用目的が材木の育成にあり、従つて、放牧又は林間採草の目的に利用し難い場合が多いといい得るにとどまり、樹冠密度の大小が常に必ずしも山林か牧野かを決する絶対的認定基準となるものではないことは多く論ずるまでもないところである。

本件二筆の土地が前示小作人らにより久しい以前から家畜の飼料又は農耕用の堆肥を作るための採草に利用されて来た以上、前示のように量としては必ずしも多くはない柏その他の雑立木が所々に点在し、所によつては樹冠密度三十%以上と認められる箇所があり、その範囲は三十四番の九字権谷原野三町五反歩にあつては略三分の一を占め、且つまた原告が右各土地から立木を伐採して薪炭材等を生産した事実があつたとしても、旧自創法上いわゆる小作牧野に該当するものと認定するに妨げない。鑑定人武藤益蔵の鑑定の結果中右認定に反する部分は採用しない。

してみれば大野村農地委員会が本件二筆の土地につき小作牧野として旧自創法第四十条の二第一項第一号に則り牧野買収計画を樹立したのは相当であり、従つてこれに基いてなした被告知事の本件買収処分もまた適法であつて何ら原告主張のように現況山林を牧野として誤認したという違法はない。この点に関する原告の主張もまた失当である。

よつて原告の本訴請求は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 佐藤幸太郎 西沢八郎)

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